• Japan Society for the Business of the Arts

    紹介者 吉田隆夫 会員紹介

    このコーナーは、会員・非会員の皆様に内外の芸術文化に関する図書や人物をご紹介しながら私の感想を織り交ぜて述べることを趣旨としています。

    ご高覧いただき、皆様の芸術文化活動に刺激になればと願っております。

    なお、いずれの図書もアマゾン等で入手可能です。

    今回は、このコーナーの第1回目です。

    取り上げた本は、「文化のリアリティ」

    -日本・ロシア知識人 深層の精神世界-

    (袴田茂樹著 筑摩書房 1995年)です。

    著者略歴

    1944年生まれ。東京大学卒業後 モスクワ大学留学 帰国後 芦屋大学 青山学院大学 新潟県立大学教授を歴任。

    この書には、著者による文化に関する論文やエッセイが所収されています。

    第1部 何が文化を「ほんもの」にするか

    第2部 ソ連知識人と文化の精神風土

    第3部 精神世界と文化感覚

    今回は、とくに第1部に所収されている「母  八重子20歳の日記」「形而上の星を見るひと」と第3部に所収されている「タガンカに火をともしつづけて」をご紹介します。

    最初は、「母 八重子20歳の日記」についてです。これは題目どおり著者の御母堂の評伝です。

    この評伝から当時の近代的自我に目覚めたひとりの女性が、昭和の激しい時代をどのように生きてきたかが理解できます。

    八重子氏は、1910年広島生まれ。故郷の女学校を卒業後、自由な都会生活に憧れて大阪に就職します。大正デモクラシーの影響を受けて田舎での因襲的な生活、人間的なしがらみから抜け出して、文学や芸術に夢中になります。

    夫となる袴田陸奥男氏とは労働運動を通して知り合い家族の反対を押しきって結婚します。陸奥男氏は、その後召集されて満州で終戦を迎えます。そして現地で抑留されます。共産主義者である陸奥男氏は、ソヴィエト当局と協力して民主運動のリーダーになります。その事情から帰国を断念してソ連邦の市民権を得て永住の生活を選びます。

    八重子氏は、戦前から夫を経済的にも支えてきました。戦後、夫の帰国を毎日こころ待ちにしていました。しかし、抑留時代の事情を知るとともに夫の永住の意思を知ります。夫を信じて帰国を待ち望んでいた八重子氏の落胆は、計り知れないものがあります。そして八重子氏は、病苦と経済的困苦の中で56歳で子供ふたりを残して人生を閉じます。

    ここで指摘しなければならないのは、次の点です。

    八重子自身は、若い頃から文学に興味持ち、文学のためなら死んでもいいと思うほどに熱中します。しかし、当時は文学の世界も社会主義リアリズムが台頭していました。そんな波に揉まれながら「芸術か革命か」の葛藤をもちます。そして本人は社会主義リアリズムの世界に入りきれず、自分の感性を大事にして芸術のための文学を選択します。

    八重子氏が、非芸術的な社会主義リアリズムの文学を手段としての文学であると見抜いたのは卓見だと言えるでしょう。文化や芸術は、人間の精神世界の自由な表現です。表現の自由が規制されて、表現が目的のための手段となれば、もうそれは真の芸術ではないはずです。

    文化や芸術で最も重要なことは、精神世界の自由と言えます。自由な精神世界で考えたこと、悩んだこと、喜び、悲しみを表現したものが芸術文化であると考えます。その感覚が文化のリアリティであり、文化をほんものにすることになります。

    八重子氏の人生は、表面的には悲劇的です。けれども、氏の精神世界(内面生活)は生き生きして、充実感を感じていた人生だったいえます。

    なお、「母 八重子20歳の日記」の続編として同じ著者による「世の掟に叛いて 母 八重子 その沈黙の数奇な運命」(桜美林大学 北東アジア総合研究所 2014年)が刊行されています。

    この著書は、八重子氏の人生は表面的には悲劇的でしたが、内面生活においては充実した精神世界を有していたことを検証した著作です。この検証によって、子息である著者は、表面的には悲劇的であった御母堂に対しての安らぎと安寧を得ただろうと推察します。

    著者は、大学で美学を専攻後、実父陸奥男氏が在住するソ連のモスクワ大学に留学されます。ソ連留学中、勉学の傍ら幅広いロシア文化に接したり、現地の文化人と交流されます。とくにロシアの文化や精神風土に関心をもたれます。

    著者は、この著書のなかでオルガ・ベルゴリッツ氏の「昼の星」(オルガ・ベルゴリッツ著 角 圭子訳 新日本出版社 1963年)に触れています。精神世界に関係するのでご紹介しておきます。

    詩人のベルゴリッツ氏に言わせると、昼の星を有しているひとたちと有していないひとたちがいます。

    昼の星は、芸術を芸術たらしめ、文学を文学たらしめ、文化を文化たらしめている創造性と価値の源であるとしています。昼の星は、真の芸術家だけが表現できる精神世界の真実、内面生活の魂の表現であると主張しています。

    昼の星を見えるひとたち、すなわち創造的な精神や個性をもったひとたちは、文学 美術 映画 演劇 詩 絵画 陶器などの文化芸術的な創造に没頭することになります。

    精神世界に昼の星を有していることが、芸術や文化を支えるといえるでしょう。

    最後に、「タガンカに火をともしつづけて」をご紹介します。この著書のなかで、タガンカ劇場の俳優であり演出家であったユーリー・リュビーモフ氏と著者との対談(1988年)が掲載されています。

    モスクワのタガンカ劇場は1964年にリュビーモフ氏らによって創設されました。当時はリアリズム演劇を確立したモスクワ芸術座が権威をもっていましたが、タガンカ劇場は、前衛的で社会批判的な演劇を目指して注目を浴びていました。面白くて誠実で芸術的にも新しい精神の息吹をもって演出した演劇を目指していました。このようにリュビーモフ氏は、公式的な芸術に背を向けて、深い芸術への精神を形成していました。

    そんな芸術的精神は、どのように形成されたかを対談で述べています。リュビーモフ氏に言わせると、子供の頃の時代状況や家族の影響が大きかったと指摘しています。そういった社会的文化的な環境の影響のもとで自己の精神世界、精神の土台を形成してきたと言及しています。

    注目すべきことは精神的状況に言及していることです。重要なことは社会の精神的状況だと指摘しています。彼に言わせると経済的状況よりも社会の精神的状況が重要だと強調しています。つまり経済は崩壊しても、後年再生は可能であるが、精神的状況の崩壊の再生は何百年もの時間が必要だとしています。

    現代の社会的状況とリュビーモフ氏の時代の抑圧された社会的状況とは異なっています。でも現代のコロナ禍の社会的状況下における芸術文化の崩壊は、リュビーモフ氏の時代の社会的状況下における芸術文化の崩壊と類似する問題を抱えていると思われます。

    その崩壊の問題の類似性は、次の点です。

    現代の日本社会は豊かですが、スムーズに健全に機能しない社会で暮らして国民は精神的に疲弊しています。コロナ禍で政治、経済、医療、労働、公衆衛生、危機管理、組織運営、介護、失業、貧困等の問題が浮き彫りにされました。まさに生活にリアリティを感じられなくなり生活の質が問われることになりました。

    精神世界へ目を向けると閉塞感と空疎感で索漠としています。かてて加えて、コロナ禍において自由な芸術文化活動が制約されて芸術文化の崩壊が深く進行しています。ここにリュビーモフ氏の時代の芸術文化の崩壊との類似性を見いだします。

    コロナ禍で経済は衰退しても経済の再生は可能でしょう。けれども芸術文化の根源となる精神面の再生・修復は非常な困難と時間を伴うと考えます。

    コロナ禍においても芸術文化を支える真の精神性を保持できるかが課題となるでしょう。苦しい社会的状況の中で強い芸術的世界を保持して、嵐に負けない芸術的強さが求められます。

    ここまで袴田氏の著書をとおして袴田八重子氏、ベルゴリッツ氏、リュビーモフ氏の文化感覚を紹介してきました。

    この3人には共有するリアリティのある文化感覚と精神世界があります。

    リアリティのある文化感覚の奥には深い精神世界があり、それと結びついた文学、演劇、詩などの芸術文化が生きる力となり、生を支えていると考えるのです。

    2021年5月23日 記